60過ぎても好奇心と遊び心を失わないご同輩は少なくない。そんなシャレっ気の減らない同輩とのたまの「バカっ話しサミット」には必ず発見がある。
シャレにも一定のコストが掛かるから、タバコの値上げ一つでこの世の一大事! としてしまうような当方にとって、ささやかな価値観改革が発見の源泉だ。その彼と会った直後になにやらバッグにしまい込んでいる極小のモノが、最初は何なのか理解できなかった。
そういうものがあることぐらいは知っていたが、恥ずかしながら実物を見たのは初めてだったのだ。iPod nanoのことである。
その同輩も自動車ジャーナリズムの世界で生きてきた人間のはしくれだから、自動車はもちろん、EVに関しても相当の造詣はある。が、話しはついついiPod nanoに象徴されるような人気商品と自動車の今後についてになってしまった。
この1万数千円の代物は、要は超小さな音楽再生機だ。ウィキペディアによると2005年にデビューした第一世代から始まって、最新型は第六世代というから驚く。ほぼ毎年モデルチェンジしている計算だ。第五世代と比較すると、本体からはスピーカーやビデオカメラ、マイクが、機能ではビデオ再生機能が廃止され「音楽を持ち運ぶ」iPodの原点に戻った、ということだそうだ。
自動車は目指す方向性を見失った?
さて自動車である。
iPod nanoが、音楽を運ぶ機械の原点を追求した結果だとしたら、自動車の原点とは一体何なのだろうか。シャレっ気の同輩曰く、
「自動車がEVに向かうかどうかはともかくとして、メーカーはハードの進化だけに没頭してきたように思う。それ自体を否定はしないが、本当に人側それぞれの心理に立って、使う本当の目的を考慮してきたかどうかはちょっと疑問だ。
自動車は、自動車自体を基準にしてユーザーを募ってきた。だから機能進化はしても人にとっては毎回同じものだ。訴えることは毎度そう変わらない。
もう、いっそのこといわゆる凝り固まっているであろう概念(一定の生産台数の確保)を一度捨てて、例えば「安全だけ」とか「究極の節約型一人乗り」とか、利用者心理と使い方を捉えた、それこそ「人とモノ+未来を運ぶ」移動手段の原点に戻らないと。
そういう意味ではEVスクーターとかコンバージョンEVは、発想としては新しい方向性が見える。前者は究極の節約型の一人乗りだし、後者はエコの中にも趣味と遊びの要素が期待できる。やはり、自動車にシャレっ気を求めるニーズは無視できないし、そういう利用者心理が無くなることはないと信じる」
ひととおり言いたいことをブチかました後、再びiPod nanoを取り出してマルチタッチに触れながら、同輩は、
「道具って、使う側が使い方を決められる部分がないとね。これだけ技術が発達したわりには、自動車はがんじがらめが多過ぎる。もしかしたら自動車の新しい方向性は、そこを壊したところから始まるのかな・・・・・・」