大転換時代のキーワードは、どうやら「誰が」より「何を」・・・だ

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - 大転換時代のキーワードは、どうやら「誰が」より「何を」・・・だ
Share on Facebook
Post to Google Buzz
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Livedoor Clip
Share on FriendFeed

今、日本はもちろん世界が大転換の時代と言われている。むろん転換は目的ではない。そうしなければならない大きな節目の時を迎えている、ということであろう。
なぜか? いろいろと理由はあるだろうが、日本が抱える課題や現実を考えると、

  • 世界人口は増えていくが、厚労省の調査では日本の人口は約40年後に1億人を切り、50年後には8千万人台にまで減少する、と予測している。
  • 関連して高齢化対策が大きな社会問題となる。
  • 枯渇も含め、石油エネルギー依存への不安定要素がさらに増す。
  • 農業、医療、社会保障、エネルギーという根幹分野の将来を見据えた具体的な策をほとんど見出せていない。
  • 震災後、11ケ月が過ぎようとしているのに、依然として肝心な被災者への実質的フォローが遅々として進んでいない・・・などなど、枚挙にいとまがない。

これらの問題を解決していく中心機能は、少なくても政治や行政であった。なぜあえて過去形にしたか。もはや誰が(どこが)やるかより、何を(実行動)するかに国民の目線は完全に傾いてきているからである。

例えば橋下大阪市長を中心とした大阪維新の会への注目の高さである。そこに東京や愛知などが一定の秋波をおくれば、その注目度はさらに増す。あげく現象面とはいえ、世論調査で理想の総理大臣を問えば、石原都知事や橋下市長が圧倒し、国会議員は現役閣僚を含め壊滅的な支持率となる。物理的、法的な総理条件などおかまいなしなのである。
理由は問うまい。当たり前過ぎるからである。このようなパラダイムシフトは、「まず、国の仕組みを壊す」ことで地方自治体の一部首長たちはほぼ一致している。その一点こそが彼らが唱える、最大の「何を」なのである。皮肉にも国政への不満が爆発した結果が転換へのトリガーとなった。

企業にも浸透する既成概念の打破

翻って民間企業はどうか。
先日イーストマンコダック(アメリカ)、まさに写真フィルムの代名詞のような巨大企業が破綻した。一方ほとんど同じ業態である日本の富士フィルムは、デジタル化の波に乗り遅れたコダックと異なり、銀塩フィルムで蓄積した技術を応用して液晶材料、医療機器、化粧品などの事業を立ち上げ、成果を出している。まさに産業構造のパラダイムシフトに応じて会社の形を変えたかどうかが、両社の命運を分けたのである。

現段階での事業成果は未知数までも、ホンダの「ASIMO」、豊田自動織機の「e-Porter(イーポーター)」、東レやテイジンの自社製「CFRP車」など、自動車メーカーが自動車事業以外へ、部品や素材メーカーが独自の考えで自動車事業へ挑戦するような例は少なからず存在する。
ここにも既存の枠を超えた発想、つまり「どこが」が大事なのではなく、「何をやるか」に焦点を絞る、まさに今の時代の象徴なのではないだろうか。

EVは、「EVだからこそできる」を追求すべき

豊田自動織機製コンセプト 物流EV「e-Porter」 スマートモビリティ社会の物流効率化と環境負荷低減に貢献する物流EVが「e-Porter」。同車はプラットホームを合理的な構造にすることで、車体の軽量化とコスト低減を実現させた。さらに低床で広くフラットなラゲッジを確保し、トップクラスの最小回転半径も実現させることで、従来の物流車に対して乗降性や作業性を飛躍的に向上させた。コンプレッサーやフォークリフトのトップメーカーからの提案だけに「違うEV」としての説得力は高い。(出典:豊田自動織機)

さらに翻って電気自動車(EV)である。改めてEVを考えてみると、脱石油依存、環境対応、都市と少人口地域のまったく事情が異なる移動手段などで従来の内燃機関にはない付加価値を見出せる可能性を数多く持っている。
EVについて、一見やや存在感が薄く見えるホンダのEV開発陣は次のように述べる。
「現代社会は世界人口増、エネルギー枯渇、地球環境問題の三重苦を抱えている。ホンダが目指しているのは、その中で自由な移動の喜びと持続可能性を実現するクルマ作り」。
「今日、脱石油のエネルギーソリューションとして注目されているEV。そのEVをユーザーのライフスタイルや社会システムへの親和性が高い商品に仕立てるにはどうするべきかという、普及商品化の本格的なトライはこれから」。
と語る。どうやら石橋を叩いて渡っているのではなさそうである。どことも違うものを作るホンダの今後に大いに期待したい。

国内自動車メーカーは、ほぼ例外なく超円高とそれに関連して海外での自動車製造シフト、そして販売台数のボリューム維持(確保)という呪縛がある。言葉を替えれば、EVが完全なマーケットを形成すればなだれをうったように大規模メーカーはEV事業に参入してくるだろう。
しかし、それはEVを現状の自動車の動力源だけを替えたもの、つまり自動車の一バリエーション、延長線上と捉えた場合なのではないか。その道はもちろん否定するものではないが、EVだからこそのというイノベーションの道も必ずあるのではないだろうか。

一例だがMITが開発した折りたたみ式超小型電気自動車「Hiriko Citycar」に注目した。シティコミューターの一例と括ってしまえばその通りなのだが、まさにEVだからこそのアイデアに溢れている。ただでさえコンパクトなのに、駐車時にはもっとコンパクトに変身できる。折りたためば3分の2のスペースでOKだからなのである(写真参照)。インホイールモーターだから既存の概念を超えた4輪操舵を可能にし、極小スペース(自車分のスペースさえあれば)でも駐車できる。
これに近い技術は、折りたためないまでも日本のNTN+タジマ・モーター、シムドライブ、日本自動車研究所などでもほぼシステムは確立されている。

折りたたみ式EV「Hiriko Citycar」 MIT(マサチューセッツ工科大学)が開発。開発プランが発表されるや否や、その個性的なデザインと、どこにでも駐車ができる省スペースぶりに大きな注目が集まった。効率の良い都市部通勤を実現するための工夫が随所に見える。2人乗りで折りたたむことができる上、スムーズな駐車ができるようにタイヤが360度回転する、インホイールモーター式。折りたたみ式もEVならでは、インホイールモーターもまさにEVならではという具体的な見本。スペインのバルセロナとドイツのベルリンが販売に意欲を示していると言われている。価格は日本円で124万円という。(出典:Hiriko)

EVが自動車と同じ延長線上の移動手段になること自体は否定しないが、素朴な願望として、EVエキスパートたちに望むことは、ぜひとも「EVだからこそできるもの」に挑戦してもらいたいのである。何よりEVの無限の可能性は「机上の空論」ではないことを形で示してほしい。そこが大転換時代への入り口だと信じるからでもある。
ホンダで燃料電池車を統括する環境安全企画室・室長の言葉がとても印象に残る。
「事業性、勝算より日本の将来。実物と世論の後押しでコストは下がる。よけいなことを考えないで、走れば勝手に世の中がついてくる」。まさしく同感である。

人気ブログランキングへ ブログランキング

こちらの記事もどうぞ!