EVには、おそらく二つの道がある しかし・・・

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冒頭からややテーマが外れるようだが、先日経産省・大臣官房付の古賀茂明氏が同省を辞めた。氏が書かれた本(「日本中枢の崩壊」:講談社、「官僚の責任」:PHP新書)も売れに売れ(つまり国民の注目度の高さを証明している)、TVメディアにも頻繁に登場する古賀氏が、今話題の改革派官僚(現在は元官僚)であることはどなたでもご存じだろう。
そこに関連して注視したいのは、一人の官僚が一省庁を辞めたことではなく、公務員改革(要するに時代にそぐわないムダの撲滅や仕組みの変更)や地方分権を訴えて政権の座についたはずの民主党政権が氏を事実上排除し、守旧派官僚の側に立ったと国民から見られたことだ。
というのは、古賀氏は少なくとも公務員改革の象徴的存在であったし、今最も重要なエネルギー問題のエキスパートでもあることだ。もちろん古賀氏一人が改革のすべてを担っているわけはないが、氏の提言の根底には常に「国民目線」がベースにある。現政権はそこを知りながら、結果的に古賀氏を慰留せず、闘う(官僚とではない。旧態依然の仕組みとだ)姿勢を事実上放棄した。その一点こそが問題なのだ。

今や元官僚(経産省)となった古賀茂明氏。復興増税に関し、経済評論家などとは少し異なる増税反対論を説く。それは経済論理の次元を超えて、なぜ政府は強い者(東電とその周辺のこと)に味方して、弱い者(国民)に負担を強いるのかと嘆く。氏の主張は一貫していて、近著「官僚の責任(PHP新書)」の中でも、「彼ら(官僚)は自分たちの血は一切流すことなく国民に負担を求めているだけだ。自分たちの身分や待遇はこれまでどおり残すばかりか、増税の一部は自分たちの保障に使わせてもらいます、と言っている。こんなムチャクチャが許されるだろうか・・・・」。それが実態だから英エコノミスト誌あたりからも「日本は理解できない(古賀氏のような改革官僚を辞任させた)」とまで揶揄されるのだろう。

一事が万事、すべてとまでは言わないが、官僚は自分たちの価値観や慣例でルール(法律)を作ることができる。国民や民間企業の場合は是非もなくそのルールに則って生活し、消費者ニーズ(CS)に対応しなくてはならない。もとより官僚がニーズ(実態でもいい)に対応しなくてもいい仕組みが続くこと自体が時代遅れも甚だしい。まずはそこから、と言ったのは一体どこの政党でしたっけ?
高度成長や大量消費の時代がとうに終わったこの国の新しい仕組みをプロデュースするためには、好むと好まざるとに関わらずあらゆる既成概念からの脱皮が避けて通れない。もはや政治は「無難」ではだめなのだ。
思うにEVの今後について、政治や行政に求められることは、大胆にしてダイナミックな行動を民間がいかに速やかにとれるかどうかが大きなカギとなる。省庁内、省庁間の力学や既得権益に見て見ぬふりをしているようでは、どう贔屓目に見ても「希望ある日本」は望めない。そのような構図が此度の古賀辞職に透けて見えた気がするのだ。

新しい自動車と「自動」車が、そこに見えている

表題の「EVには、おそらく二つの道がある」とは、
1の道=短中期的には「自動車」の一カテゴリーとしての道。
2の道=中長期的には「自動」車としての道、というものだ。
前者の場合、今後のキーとなるのはまぎれもなく「サスティナビリティ=持続可能社会」だろう。追究することは、とにかくエネルギーを可能な限り使わない「こと」。内燃機関自動車でもマツダのスカイアクティブやダイハツ・イースを見れば一目りょう然だが、究極的には「自己完結型ヴィークル」にまで到達すれば、間違いなくエネルギー問題解決の主役となる。当たり前だ。
カテゴリーは違うが先日全日空に最新機のボーイング787が納入された。この機、いろいろと特徴はあるが大きな注目点は「低燃費」の一点だ。航空機は未だに化石燃料に頼るが、自動車には燃料面で「こういう選択肢」もある、というアピールが出来るのはEVなどの次世代エネルギーヴィークルならでは、のはずだ。

夢(でもないが)の「自己完結型ヴィークル」とは、EVであれば個人や地域が独自に発電した電力で走行のほとんどが賄えればそうなるだろうし、実際に企業と自治体などが連携して進めるスマートシティ計画はその仕組みに向けて行われている。さらにシボレー・ボルトや実証段階だがスズキ・スイフトやアウディA1 eトロンのレンジエクステンダーEVの発電用エンジンが現状の化石燃料ではなく再生可能エネルギー使用にまで発展していけば、こちらもほぼ「自己完結型ヴィークル」と言っても差し支えないだろう。
当然ながら、大前提として電力の道義的かつ効率的な生産、流通、活用がない限りEVみらいのすべてが本末転倒になってしまうことも申し添えておく。

本サイトでも何度か紹介したルノー・トゥイジーと基本コンポーネンツを共用する日産New Mobility CONCEPT。日産が国交省の認可を受け横浜市、青森県、福岡県と共同で地域交通システムのあり方の検証、高齢者や単身者世帯の増加や乗用車の近距離移動、少人数乗車の使用実態に伴う実証試験を行う。公道走行は日本初、つまり今後を暗示させる画期的なことと言える。リチウムイオン電池を搭載し、最高速度80km/h、全長234cm、全幅119cm、全高145cm、車両重量470kg、乗車定員2名の超小型モビリティ。

2人乗り超小型モビリティ、日産+1市2県から始動

EVが自動車の一カテゴリーと定義すれば、現行の自動車の法律(道交法や運送車両法など。これらに限ったことではないが、法律を所管する省庁は複数に渡る)に則る必要がある。誤解しないでほしいがそのルールをやみくもに変えようと言うのではない。ただEVの場合、既存のインフラを使うのは道路と駐車スペースぐらいで、それ以外はほとんど従来にはない(なかった)ものだ。充電設備、メンテの仕方、リユース、リサイクル方法などがそうだ。自動車とは周辺インフラが正しく機能しない限り健全に走れないのだ。
経産省は平成24年度の概算要求で総額1兆762億円を提出した。その中で電気自動車導入補助金として457億円を計上している。この額が大きいか小さいかを評価するつもりはない。大切なことは、何に、どのように、どうするかが見えてこないことだ。まず予算ありきで、結果なしくずし的に行われてきた従来の仕組み(目的が、その中身ではなく予算から始まるかに見える順序の矛盾)に対し、どうしても不安が募ってしまうのだ。

EVは外観や機能は限りなく自動車なのだが、その体質(人間で言えば心臓と血液かな)が大きく異なる。となれば、良し悪しはともかく自動車と寸分違わぬルールを適用すること自体にちょっと無理が生じやしないか。だからこそダイナミックな行動(対応)が必要になるのではないか。
シンプルに申せば、EVを現行の自動車ルールの下でなが~い時間を掛けて一定の普及をさせるという選択(多分、それをやると日本は世界に負ける。ソーラーパネルと同じ轍)と、最も重要な安全面だけは確実に担保して、あとは民間活力を信じて普及しやすい環境を作る。そのこと(普及)によってモーターやバッテリーのコスト、性能、安全性、耐久性からリユース、リサイクル問題、非接触充電も含めたインフラ整備なども、実情に合わせたステップアップがスピード感をもって可能になってくるはずだ。

日産が、先日国交省から電動コンセプト車「New Mobility CONCEPT」(ルノー・トウィジーとコンポーンネンツを共用)の公道走行実証試験のための認定を取得した。日産は「環境対応車を活用したまちづくりに関する実証実験」に参画しており、本社のある横浜市や青森県、福岡県と共同でこのクルマを活用した公道実証試験を行う。
大きな目的は高齢者や単身者世帯の増加に対応するための近距離移動に適した乗り物「2人乗り超小型モビリティ」の事実上のプレゼンテーションだ。個人的な予想だが、このクルマが大きな話題を呼ぶものと確信する。理由はカッコいいし、安っぽくないし、第一に今までになかった形のクルマだからだ。ニーズとは既存の自動車型式枠など知るよしもないし興味もない。
このような実証試験が具体化することは大いに歓迎すべきこと。欲を言えばこの大きな産官プロジェクトから端を発し、あらゆる企業が参加でき、また健全な形で競えるような仕組みにまで発展出来れば完ぺきだろう。もちろん省庁間のタテ割り弊害ゼロが前提だ。

このように、いつまであるか分からないエネルギー(化石燃料)もあてにできない(後述)、その理由で普及・拡大させてきた原発政策も改めなければならないとすれば、次世代エネルギー活用車両の浸透・普及や小規模分散型発電などが、もはや先送り出来るような時期、状況ではないと思うのは私だけなのでしょうか。

最初は賛否が割れるだろう・・・が「自動」車はいずれくる

さて後者はどうか。
「自動」車とは、文字通り人による操作(運転)を介さずに行える移動体だ。
米GMは、運転者不要の自動運転が可能で、なおかつ目的地に到達すると自動的に駐車することが出来る自動車を2015年にはテスト走行も行い、2018年には販売も予定しているという。これはCES2008で同社が発表したもの。ドライバー不要の技術については既に完成域に達しており、SFの話ではなく実現可能な話である、とも。最大の問題は自動的に目的地に到着する運転者不要のクルマを果たして消費者、社会がどれだけ求めているかどうかという点で、現実的には渋滞やエネルギー問題などに対する解決手段としてこのドライバーレス自動車を考えている、とGMは見解を述べている。
残念ながらその詳細などは分かっていない。もちろん想像だが、おそらく日本のメーカーも研究しているはずだ。なぜなら日本の技術で世界に誇れるものの中に「オペレーション技術」があるからだ。そこに注目し期待したい。

どうやら「自動」車は、技術的には出来ているようだが、そういうニーズが果たしてあるのか、そして万が一の時は誰がどう責任を取るのか・・・あたりに課題が集約されそうだ。
おそらくニーズはかなりあるものと考えられる。前述した「超小型モビリティ」公道実証試験の根底にある目的は、まさしく高齢者対策だ。しかしその要望に完ぺきに応えたとしても、そのモビリティを動かせるのは運転できる人に限られる。当然ながら運転出来ない人、クルマを持て(た)ない人は、どうやってマーケットや病院に行くのか、という問題に必ず突き当たる。ある程度の人口を擁する都市であればバスやトラムが威力を発揮するだろう。ではそうではない地域の高齢者はどうするのか。まずそこを避けては通れない。もはや日本だけの問題ではない。

このことも含めて、世界的デザイナーであり、フェラーリ・エンツォなどのデザインでも知られる奥山清行(ケン奥山)氏が「ムーンショットデザイン幸福論」http://gigazine.net/news/20110908_moonshot_design_cedec2011/講演の中で明快に発言されている。その内容の一部をご紹介しよう。

「大体50年で世界の原油はなくなるであろう、と。もし50年で無くなるのだとすると、石油が絶対なくては成立しない航空機、考えてください、飛行機、燃料無かったら飛ばないですよね。電気モーターでまだ飛ぶ飛行機ってできてないですし、(中略)そういう石油無しで飛ぶ飛行機というものが量産化されるのにはおそらくまだ20年か30年必要で、原油が無くなるまでには間に合わないです。
そういうものとか後、国防、国を守るもの。後はプラスチック。石油が無かったら絶対に作れないし、絶対に動かないものに対して、石油が無くなりそうになる後半の25年はおそらく使わずに残しておきますよね。それか、もう値段が高騰しちゃって、商業的に計算が合わないので、他に選択肢を持つ自動車のようなものには、25年後、長くて30年後には石油は回ってこないと考えていいと思います」
奥山氏は、石油をメーカーの人たちではなく、石油を掘っている人たちが無くなると言っているのが現実だから怖いと説く。今現在は石油産出国であるアブダビが出資しUAEの国家的スマートグリッド・プロジェクトであるマスダール・シティを例にとって、なぜ彼らが50年で蓄えた富を使って二酸化炭素を一切出さない都市作りに着手したかを例に分かりやすく語っている。

そして、前述の「自動」車についても鋭く触れている。
「65歳、70歳の人がおむつしながら軽自動車乗っているのが今の日本の実態ですよね。それで乗れるのかというと、ぶつけながら、ぼこぼこにしながら皆さん乗っていますよね。(中略)それが日本の本当のパーソナルトランスポーテーションの現実で…。ただ彼らは車取られちゃったら、スーパーマーケットにも行けない、と。
世界中にそういう人たちがたくさんいるので、そういう需要はすごくある。例えばこういう自動操縦のクルマが、6人の人を運んで、乗り合いで目的地まで行ければ、問題解決しますよね。自動操縦なんてそんなロボットみたいなクルマ作れんのかって、もう20年間も30年間もやってるじゃないですか、テーマパークで。この前ディズニーシーに行ってきましたけれど、あそこのあのアクア…なんでしたっけ、というのが、あれは川崎重工のシステムの人たちが作った仕組みで、30cmごとに三角形のセンサーが入ってまして、それが全くレールがないところを、タイヤの跡を見ると全くずれずに同じところを走っていく。それぐらいの精度を持つものがGPSでもできますし、もう技術は既にあるんですね。
それがなぜ生産されていないかというと、量産メーカーがそれをやって、事故があって、一番最初に誰かが必ず死にます。死んだ時の責任が持てないから、メーカーとしてはそれを持ちたくないから、そこのビジネスに入っていきたくないっていうのが一番大きい理由です」
まさしく・・・・だ。テーマパークで可能なのは、おそらく限られたスペースの非公道だからなのだろうが、要は技術的に完成されているのだととしたら、そういう実験区、リスクを恐れぬなら、まさしく特区から始められるはず。GMが言うような、ニーズがあるかないかなど、「それ」を見せない限りリサーチしようがないではないか。いずれにせよ、この乗り物、EVや通信技術が中心となることだけは間違いない。

最後に、日本のEVベンチャーへのエールともとれるコメントを自社で作ったクルマを例に語っている。
「うちは20人のデザイン会社(注:ケン奥山デザインhttp://www.kenokuyamadesign.com/
です。小企業です。中企業にもならない。(中略)20人のデザイン会社が、今やクルマを作れる時代になったんです。考えてもみてください。3000人いなくたって、3万人いなくたって、部品を集めて組み立てさえすれば、少量生産であればもう、クルマが作れるっていうそういうご時世なんです。
これからいろんな業界で部品のモジュラー化が行われて、それで例えば自動車の電気化とかそういうことが起こると、ものすごく塀が低くなって、いろんな人たちが入ってこられるようになります。もちろん自動車メーカーでないとできないことっていうノウハウはすごくありますけれど、それでも象徴的なのは、たかだか社員が20名のデザイン会社が自動車を作れる、そういう時代だっていうことを覚えておいていただきたいな、と」

まさに時代は動いている。それも速度を増して・・・・。
老婆心ながら、自動車を作るのは小規模でも可能だが、誰でもどこでもということでは決してない。確固たる技術の裏付け、自動車やエレクトロニクスに対する造詣が必須であることをあえて書き加えたい。

EVではないが、わずか20人でクルマが作れることを証明したケン奥山デザイン製のK.O 7。全く塗装を施さない、ドライカーボン、打ち出しのアルミパネル、切削合金で組み上げられたフォルムはまさに日本刀の機能美にも通じる。全長3635mm、全幅1850mm、全長1100mm、車重750kgの軽量ボディ、2ℓ直4エンジンをミッドシップに搭載。最高出力200-240ps/8300rpm、最大トルク21kgm/7000rpm。ハンドル位置は左右両方が選べる。オーナーの希望にあわせてデザインや素材を選ぶことができるところはさすがにデザインスタジオ製ならでは。クルマにはデザイン力とも言うべき感性とオリジナリティが重要であることを改めて知らされる。

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